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Thursday, January 19, 2012

Joseon class system by Tokio Yoshimura 李氏朝鮮時代の身分制度

http://www.noevir-hk.co.jp/magazine/2009/12/post_100.html

李氏朝鮮時代の身分制度

昨夜のNHK・ BS2の韓国王朝ドラマ「イ・サン」…王宮に仕える奴婢が身分をわきまえず、 密かに絵を描いていることが表沙汰になり、宮中は大騒動。
いくら才能があっても、王母が配下に製作を命じた掛け軸の絵を、奴婢の分際が描くなど…言語道断。 厳しい身分制度に縛られた、中世朝鮮を垣間見た…

■人口比率に見る、中世・朝鮮の身分階級
1690年 1858年 
○両班        7.6%        48.6%
○常民       51.0%        20.2%
○奴婢(奴隷)   41.2%        31.3%  

朝鮮・李朝(1392~1910)の500年は、日本の士農工商よりはるかに厳しい、身分制度に縛られた国だった。
人口の8%弱の支配層の”両班”が、170年後には6倍に増え、人口の半数を占めるまでになったのは、 金銭を払ってでも官職を手に入れたいという、切ない庶民の姿があった。


724 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~
「李氏朝鮮時代の身分制度」

「チャングムの誓い」や「大王世宋」、そして、BS2で放映中の「イ・サン」「龍の涙」 を見るとき、是非知っておきたいのが、 李氏朝鮮時代の身分制度。当時の朝鮮は、世界で最も身分差別の厳しい社会だったのです。

中国の政治システムを丸ごと踏襲した李朝…”小中華”の中心はソウルにあり、 都から遠く離れた民は軽んじられた。
官吏は朝鮮中央部からしか選ばれず、半島の北端や南端は、 流刑の地だったこともあって、公然と地方差別を受けた。

6世紀初頭、新羅に滅ぼされた半島南端”百済” の民は、1998金大中大統領が出るまで、 ずっと差別されてきた。その沖合いにある済州島は、 流人の島だった。

李朝3代の時、身分・階級に従って、着ている服の色が定められ、守らないと投獄された。韓国の歴史ドラマを見ると、 着衣で階級の上下が判別できるのです。

身分は、大きく「良民」と「賤民」に分けられる。
■「良民」は自由な民で、納税、国役の義務を負い、
三階級に分類される。
○両班(ヤンバン)   …貴族的高級官僚で、文班(文官)と
武班(武官)がある
○中人(チュンイン)  … 科挙の試験に合格した下級役人、
技術官、医者など
○常民(=良人・ヤンイン)…農民が大多数を占め、商人、 職人

■「賤民」は奴隷。大多数は”奴婢(ヌヒ)” 
最も差別されたのは”白丁”…職業、居住地、衣服にいたるまで、厳しい制限と強い差別を受けた。

高級官僚、大百姓、金持ち商人は、奴婢を財産にし、権威の象徴として多数の奴婢を養い、下働きに使った。 奴隷ゆえに、売買・贈与・相続の対象にされた。
支配階級の両班は、生まれつき血縁というだけで、能力・才能とは無縁に、地位と名誉を手に入れ、 役人に登用され、国政に携わった。

”常民”の百姓は両班から差別され、”奴婢”は常民の百姓・町民から差別された。
婢(女の奴隷)は、日韓併合当時まだ一人30円で、売買されていた。
婢は主人の所有物で、夫は持てず、生まれた子も主人の所有物になり、転売された。 奴婢の子孫は代々、奴隷の身分のままに置かれたのです。

今日の韓国の繁栄は、在日韓国人が大きくかかわっている…が、本国に帰ると 「ハンチョッパリ」(豚の足の半分日本人奴)と蔑まれる。

TVドラマでは、犯罪を侵した常民が奴婢の身分に落とされ、放牧の牛のように、 胸に焼印を押されるシーンがあった。また、戦いに敗れた敵の捕虜を奴婢にして、財産にすることも行われた。

明治初期、日本政府は韓国に開国を迫ったが、無視された背景に、こうした朝鮮社会の門閥や、 封建身分制度があった。
身分制度は国政を腐敗させ、不平等社会を生み、国力衰退の主因になった。
朝鮮の社会改革が、日本の明治維新のごとくいかなかったのは、 伝統的身分制度が邪魔をしたのです。

奴婢制度は、1894年日韓併合当時、日本の強力な後押しを受け、「甲午改革」で 「四民平等」を宣言して、廃止されるまで続いた。
しかし、韓国社会は直ぐには受け入れず、現在も尚、階級差別・地域差別の意識が根強く残り、 偏見は収まっていない。「賤民」の家系というだけで、結婚・就職の障害になっているのです。

日本人にも、潜在意識の中に、朝鮮人を見下し差別する意識があり、 朝鮮人への優越意識が存在するのは否めない…中学の時、クラスに韓国系の女子生徒がいたが、「朝鮮、朝鮮とパカにするな」 と囃し立てられ、いじめられ、可哀想に思ったものです。

その頃まで、犀川の上流・大桑と、下流の現・高岡中学近辺の二ヶ所の川原に、 乞食同然の朝鮮人が掘っ立て小屋を建て、身を縮めるようにして暮らしていた…
私たちは「朝鮮部落」と蔑んでいた。   
「徒然なるままにエッSAY!」より

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